第99代内閣総理大臣となった”令和おじさん”こと、菅義偉氏。
実は若い頃イケメンで、色々と苦労をしてきた人だったそうなんです。
今回は、第99代内閣総理大臣・菅義偉氏の若い頃の姿、そして苦労人と言われる過去について調査していきたいと思います!
菅義偉は若い頃イケメンだった?生い立ちや苦労人の過去とは?
800RT 「GoToイート」事業を受注「ぐるなび」系会社が菅首相に献金 #菅義偉 #GoToイート #ぐるなび #スクープ速報 #週刊文春 #文春オンラインhttps://t.co/877vaKgj2a
— 文春オンライン (@bunshun_online) September 16, 2020
家族みんな、華麗なる政治一家・・というのはよく聞くことですが、全くそうでない方もいらっしゃいますよね。
今回、内閣総理大臣となった菅義偉氏は「叩き上げの苦労人」と言われています。
ここに至るまでの間、どんな苦労をしてきたのか・・
まずは、菅義偉氏の生い立ちや苦労人としての過去を見ていきましょう。
プロフィール
菅義偉氏は1948年12月6日生まれで現在71歳、秋田県出身です。
家族構成
菅義偉氏は、お父さん・お母さん・お姉さん2人・弟の6人家族です。
農家の長男として誕生
菅義偉氏の実家は、秋田では有名ないちご農家です。
お父さんの菅和三郎氏はいちごの生産組合を作り、組合長も務めていたそうですね。
菅和三郎氏の作るいちごは「秋の宮」というブランドいちごで、秋田以外でもかなり有名なようです。
いちご農家の長男として生まれた菅義偉氏は、お父さんから後を継いでほしいと言われていました。
跡継ぎになるため農業大学に進学するように言われていましたが、菅義偉氏は「東京に行きたい」という強い思いがあり、お父さんの期待に応えることはできなかったようです。
家族も優秀な人が多い!
お父さんはいちご農家として名の知れた方でしたが、お母さんやお姉さんも優秀な方のようですね!
菅義偉氏のお母さんとお姉さん、そして叔父さん・叔母さんも教師をしていたそうです。
このような環境で生活をしていると教師か農家になりそうな気がしますが、菅義偉氏は絶対になりたくないと思っていたそうですね。
自分の力を試すために東京へ
「秋田から東京へ出て自分の力を試してみたい」という強い思いで、いちご農家にはならず、教師にもならず・・東京へ行くことを決めます。
当時、やはり家族としては秋田に残って欲しかったという思いが強かったそうですね。
アルバイトをしながら大学を目指す
自分の力を試すため、菅義偉氏は高校を卒業した後に上京することになります。
お父さんの反対を押し切って上京したため、当然仕送りのようなものはありません。
大学へ行くためのお金もないわけで、段ボール工場で働いたり、築地では台車運びという仕事もして大学へ行くためのお金を貯めていたそうです。
何もないところからのスタート、本当に努力家だなぁということが分かりますね!
仕事が終わって帰ると、その後はひたすら勉強をする・・このような過酷な生活を2年ほど続け、見事法政大学法学部政治学科に進学することができました。
大学卒業後は一般会社へ
法政大学を卒業した後は、建電設備株式会社に入社。
建電設備会社は電気通信設備の総合保守点検などを行う会社で、現在は”株式会社ケーネス”という名前に変わっています。
議員の秘書になったきっかけは?
建電設備会社で働いている中、世の中の色々なものが見えるようになってきたそうですね。
そこで、「世の中を動かしているのは政治だ」ということに気付き、26歳の時に法政大学の就職課でOB会の事務局長を紹介してもらったそうです。
そこから、横浜市の小此木彦三郎氏の秘書を務めることになりました。
思い立ったらすぐに行動に移すという素晴らしい行動力、こういう部分は政治家としてすごく魅力的な部分ですよね!
真理子夫人と出会い、結婚へ
菅義偉氏の奥さんは現在66歳、”真理子さん”というそうですね!
真理子夫人は当時、小此木彦三郎氏の家事手伝いをしていたそうで、菅義偉氏はその魅力に惹かれて「なんとなく結婚すると感じた」と語っています。
実は真理子夫人、過去に離婚歴があるそうで、菅義偉氏とは再婚なんだそうですね。
1987年、市議会議員選挙へ出馬
「世の中を動かしているのは政治だ」と感じていながらも、自分が政治家になるという考えはなかったという菅義偉氏。
国会議員秘書をしていても、秋田に帰って農家を継いだ方がいいか・・と考えていたこともあったそうです。
ですが、秘書を10年ほど務め、ついに横浜市議会議員選挙に出馬して見事初当選!
この時、「勝ち目はないからやめた方がいい」と小此木彦三郎氏には止められたそうですが、それでも強い意志を思って先に進みました。
秘書として務めた事務所を辞め、選挙に勝つために何件もの家をまわって挨拶をしたそうです。
その数なんと3万軒、靴を6足もダメにするくらい努力した結果、何もないところからスタートしたはずの菅義偉氏は多くの人たちから支持されるようになりました。
こうして見事に、市議会議員選挙で初当選となったわけです。
1996年に国政デビュー!
横浜市会議員を2期務めた後、ついに衆議院議員選挙に出馬!
見事に当選して、衆議院議員となることができたのです。
この時、菅義偉氏は47歳でした。
その後はどんな職務についていた?
政権運営で協力確認
自民・菅新総裁、山口代表を表敬#公明党 #山口那津男 #山口なつお #山口代表 #菅義偉 #公明党ニュース https://t.co/85HYqK9nJ0
— 公明党ニュース【NEWS】新型コロナウイルス速報!(新型コロナウィルス) (@news_komei) September 16, 2020
見事に衆議院議員となった菅義偉氏、その後はどんな職務についていたのでしょうか?
ここからは、菅義偉氏が衆議院議員となってからの経歴を詳しく見ていきたいと思います!
その後の経歴①国土交通大臣政務官
2002年1月には、国土交通大臣政務官に就任。
1年8か月の間、国土交通省大臣政務官として活動、ETCの夜間割引やアクアラインの値下げなどに取り組みました。
その後の経歴②経済産業大臣政務官
国土交通大臣政務官を経て、2003年9月に経済産業大臣政務官になります。
経済産業大臣政務官としては、約1年活動。
ここでは、振り込め詐欺を撲滅するための活動や、万景峰号の入港禁止などに取り組みました。
その後の経歴③党国会対策副委員長
その後、2004年10月に党国会対策副委員長となり、国会運営をまとめるという大きな働きをします。
国会のまとめ役、ここまで大きな仕事をできる立場になった菅義偉氏、本当に素晴らしいですよね。
その後の経歴④総務副大臣
2005年11月、総務副大臣に就任。
総務副大臣は約1年ほどで、この時の総務大臣は竹中平蔵氏でした。
その後の経歴⑤総務大臣
そして翌年2006年9月には、ついに総務大臣に就任します。
郵政民営化を担当した他、ふるさと納税やNHK改革、地方分権改革法案の成立など、数多くの問題に取り組み、菅義偉氏の実力が広く知られることとなりました。
その後の経歴⑥選挙対策副委員長
その後、2007年には麻生内閣で選挙対策副委員長を務めます。
地震対策や公団住宅問題にも取り組み、さらに幅広く活動をしていくことになりました。
その後の経歴⑦内閣官房長官
2012年、ついに多くの人たちが印象に残っている菅義偉氏の姿、内閣官房長官に就任!
在任期間は歴代最長、新元号「令和」と書かれた色紙を持った菅義偉氏は「令和おじさん」として多くの人に注目されましたよね!
日本の経済を立て直すため、安倍内閣で積極的に多くの課題に取り組みました。
菅義偉はどんな人?性格は?
菅首相の座右の銘、力強く書き上げる 湯沢高書道部 #菅義偉 #湯沢 #akita #秋田 https://t.co/IrGgEB3p6o
— 秋田魁新報社 (@sakigake) September 16, 2020
「努力の人」と言われている菅義偉氏は、どんな方なのかが気になりますよね!
ここからは、菅義偉氏の若かりし頃のエピソードや性格などについて見ていきたいと思います。
座右の銘
菅義偉氏の座右の銘は、「意志あれば道あり」という言葉。
農家を継いでほしいという父親に反発するように上京し、色々ありながらも強い意志を持って市議会議員になったことこそが。現在の菅義偉氏を作っていると菅義偉氏は語っています。
強い気持ちを持って行動すれば、その先に道は開ける・・ということなんでしょうね!
小学生時代のエピソード
小学生の頃、野球を始めたそうですね。
とても負けず嫌いな性格だったそうですが、気遣いのできるところもあったそうです。
友達みんなで川に入って、イワナやアユを獲ったりしていたそうですよ!
中学校時代は野球部だった
小学生の頃に始めた野球は、中学でも継続!
野球部に入って、憧れていたサードになります。
打撃のフォームについて監督から指導されるも、「自分に合っているのはこのフォームだ」と変えようとはしませんでした。
根っからのナンバー2で常にトップの支えになっていた
昔を知る同級生の話によると、勉強も運動もできてすごく優秀だったという菅義偉氏ですが、1番ではなかったそうです。
根っからのナンバー2ポジションで、様々なことでトップを支える存在だったそうですね。
これこそがまさに、安倍内閣での”官房長官としての姿”に繋がっていたのかもしれませんね。
真面目な性格
菅義偉氏のことを語る人たち、そのほとんどが菅義偉氏のことを”真面目な性格”だと言います。
芯が強く真面目、どんな小さなことでも手を抜かなかったそうですよ。
この真面目な性格を持っていたからこそ、農家の生まれから総理大臣になることができたのでしょうね。
若い頃イケメンだった
野球に打ち込み、勉強もできた菅義偉氏、現在は「目の奥が笑っていない」とか「目が死んでる」なんて言われてしまうこともありますが、若い頃すごくイケメンでした!
こちらが菅義偉氏の若い頃の画像なのですが、なかなか良い顔をしていますよね。
甘党で有名!
あまり表情を崩すことがないポーカーフェイスな菅義偉氏は、ちょっと怖い雰囲気もあったりしますよね。
ですが、そんな見た目からは想像もできないくらい、かなりの甘党なんですよ!
「令和おじさん」だけじゃなく、「パンケーキおじさん」なんていうあだ名まである菅義偉氏は、パンケーキが大好き!
中でもお気に入りのパンケーキは、ホテルニューオータニで食べることができる3,000円のパンケーキなんです。
ちょっと高級なパンケーキですが、かなり美味しいんでしょうね!
子供は何人いる?
菅義偉氏には、3人息子さんがいます。
長男は議員秘書を務めた経験があり、現在は普通の企業で働いているようですね。
次男は、東京大学に通っていたそうですよ!
そして三男は、なんと中学・高校がRADWIMPSの野田洋次郎さんと一緒で、野田洋次郎さんは家に泊まりに行ったこともあるそうです。
なかなかびっくりな繋がりがあったんですね!
菅義偉の生い立ちや経歴、若い頃について【まとめ】
今回は、新内閣総理大臣の菅義偉氏の生い立ちや経歴などについて調べてみました!
たくさんの努力をして今の地位まで辿り着いた菅義偉氏。
これからは内閣総理大臣として、たくさんのことを成し遂げてくれることでしょう!
これからも、菅義偉氏の活躍から目が離せませんね!