2018年9月10日放送の「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~」で放送された内容として「東西冷戦下のドイツ・ベルリンで日本の“あるお家芸”を披露しベルリンの壁崩壊のキッカケを作った日本人偉人伝説」というものがありました!
そしてそのベルリンの壁を崩壊させたというのが佐藤勲(さとういさお)さんという花火師らしいんです!
「花火師がベルリンの壁崩壊させた?壁に花火でもぶち当てたのか?」と思った方もいらしたかもしれませんが、実はベルリンの壁の崩壊のキッカケになる事をしていたのです!
という訳で本記事では佐藤勲さんの経歴&プロフィ-ルと何をしたのかということについてご紹介してきま~す。
佐藤勲さんのプロフィ-ル
名前:佐藤勲(さとういさお)
生年月日:1910年
没年:1996年
出身地:秋田県大曲市
職業:花火師
佐藤勲さんは若い頃は花火とは無縁の映画監督が夢だったそうです!
ですが、出身地の秋田県大曲師は花火で成り立っていた町であったのですが、その当時テレビの普及で花火をどうにかしないとということで佐藤勲さんは映画監督を諦めて花火師となりました。
とは言っても当時地元の花火大会の主催権が佐藤勲さんが企画担当していて大曲商工会に決まった事が1番の理由だったそうです。
その時既に47歳で人生の折り返し地点を過ぎてた佐藤勲さんですが、そんな事は気にせず花火に打ち込みました。その結果、平成元年には平成元年秋田県文化功労賞受賞を受賞しています。
そんな花火に人生を打ち込んだ佐藤勲さんですが、何をしてベルリンの壁崩壊のキッカケを作り出したのかが気になります!というわけで確認していきましょ~う。
佐藤勲さんがベルリンの壁崩壊のキッカケ?何をしたの?
佐藤勲さんのベルリンの壁崩壊は結構テレビで取り上げられているらしく、既に「世界一受けたい授業」の『外国人が選ぶ日本人のすごい所』という内容の50位中9位の所で紹介されていました。
どのような内容かというとベルリンの壁は長い間西ベルリンと東ベルリンを分断していましたよね…。
そして1987年(佐藤勲さんが77歳の頃)西ベルリンでベルリン市制750年祭典が開催されました!そこで、佐藤さんが活躍します。
7000発の花火を空へ打ち上げ、夜空を彩りました。佐藤勲さんを中心とする花火の打ち上げ隊が打ち上げたのです!
ですが、ベルリン市内の国民が心を打ったのはその花火というより、佐藤勲さんの記者にしたコメントでした!
それは「ベルリンの地上には壁がありますが、空には壁がありません。日本の花火は、どこから見ても同じように見えます。西のお方も、東のお方も 楽しんで下さい。」というもので、翌日地元西ドイツの新聞の一面を飾りました!
「空に壁はない!」
そうですね、花火はどこからでも見れて、空に壁はなく開けています。佐藤勲さんカッコいいですね~。
その2年後、1989年にベルリンの壁崩壊!一説によると「このコメントがキッカケでは?」とも言われています!
佐藤勲さんについてのまとめ
いかがでしたでしょうか!
佐藤勲さんについてプロフィールやベルリンの壁を崩壊させてたキッカケについてご紹介してきました。佐藤勲さんの男らしい一面が見れましたね。
もうこの世にはいない佐藤勲さんですが、花火業界を盛り上げてくれた方なのはもちろん、ベルリンの壁崩壊の立役者です!ほんと感謝ですよね…。
というわけで今回はこの辺りで終わりなのですが、『世界ナゼそこに?日本人』で同じく2020年9月10日に紹介された人物として石井正治さんについての記事もあります!
石井さんはインドネシアにある食材を普及させて、日本とインドネシアの架け橋になった方です。なのでもし気になる方がいましたら、是非チェックしてみてくださ~い。
石井正治のwiki風プロフィール!インドネシアに広めた日本食”イシイ”とは?
というわけで今回はこの辺で。最後まで読んで頂きありがとうございました!